南海の泡から生まれた公認会計士

金融商品取引法改正で電子記録移転権利が定義されるなど、暗号資産による資金調達(ICO)の法整備が進んできました。
法整備が行われる以前は、株式による資金調達も非常に投機的なものでした。

17世紀のイギリスは、度重なる戦争によって莫大な額の借金を負っていました。
そこで、南アメリカとの独占貿易権と引き換えに国の借金を肩代わりする、南海会社(The South Sea Company)が作られました。

国の借金である国債は、南海会社株との交換で回収されました。
国債が株式に変わると、イギリス政府は債務から逃れられます。
債権者は、株式が値上がりすれば、貸した金額を超える利益を得ることができます。
南海会社には時価と額面の差分の株式が残り、これを売却した分が利益となります。
会社の利益が上がると、株価はさらに上昇しました。

南海会社の株式が高騰すると、他の株価も上昇しました。
便乗して投機目的の会社が乱立し、「泡沫(ほうまつ)会社」と呼ばれました。

1720年6月、泡沫会社を取り締まる法律が成立すると、株価は暴落を始めました。
南海会社株などを担保に泡沫会社へ投資していた人も多かったため、連動して全ての株価が下がったのです。
このバブル崩壊によって、わずか数ヵ月間に多くの破産者・自殺者が出ました。
物理学者ニュートンも2万ポンド(約10億円)を失いました。

この出来事は「南海泡沫事件」と呼ばれ、「金融バブル(=泡沫)」という言葉の由来となりました。
そして、一般大衆から資金を調達する事業形態には第三者による評価が不可欠であるとして、公認会計士制度と会計監査制度が誕生したのです。

『当コンテンツはICO研究室のサイトから情報の提供を受けています。更新情報がある場合がありますので、興味がある情報はICO研究室のサイトをご確認ください。
https://www.ico-japan.com/